レイエッセンス【花神】の誕生


 

それは2017年のことでした。

 

”枯れ木に花を咲かせましょう" 

 

このウエサクの満月の夜、レイエッセンスが生まれる。

 

浮世を超越したところから下界に花を咲かせて回る、

何からも侵されることなき、屈託のない喜びの神様のよう。

枯れた木には次々と見事な花が開いていく

 

その爺さんは満面の笑みのまま口も動かさずに言う。

 

咲けよ咲けよ。

自らを咲かせよ。

自らが咲かせる者となれ。

 

 

この"花咲爺さん"のようなエッセンスは、誕生前に名前が決っていました。そして決まっていたのは名前ばかりではありませんでした。

名前は花神(かしん)。受け取る場所は・・爺さんの立っている場所、どこだろう。桜の古木、ああ、あの神代櫻だ。このエッセンスを紹介する文、そして写真の構図までもが浮かんできて、まだエッセンスができる前のことですが、エッセンスができると思った瞬間にすべてがあっという間に揃ってしまったのには、もう笑うしかありませんでした。

昔、車の芳香剤のCMで「車は買ったし、芳香剤も買ったし、みんな揃った。さあ、あとは免許だ!」というのがあり、まさにその線でした。他はみんなそろっていて、あとはエッセンスだけだったのです。

 

花神という名前は、司馬遼太郎の小説で大河ドラマになった「花神」のタイトルとテーマ曲が頭に鳴り響いたからです。"花神とは中国の古語で、花咲爺のことを指す" と作者は冒頭にそのいわれを書いています。

そのオープニング映像は、太陽が暗雲に隠されて真っ暗になったところに「花神」の文字。そして視点はいつのまにか雲すれすれのまぶしい空をゆうゆうと飛んでいる。行く手の眼下には光る海も見えてくる。雲と戯れ、どこまでも響き渡れ、そんな光景と曲でした。

 

 

2017年5月10日、満月が昇る日暮れ時、この神代桜の幹にボトルを託しました。

イメージの中で揚々と灰を撒く爺さんの登っているのは桜の木、それはまさにこの神代櫻でした。5月も中頃のこと、花は散ったばかりでしたが、それでも花神にふさわしいのはこの見事な桜の老木だったのです。

訪れてみると、その太い幹は地上から2m程のところで主幹が朽ちて無くなっていて、そこからは何本もの太い枝が八方に伸びていました。そこは苔や草が覆ったちょっとしたステージのようになっていて、花咲爺さんがそこにいるようでした。

 

神代櫻の立つ場所に素桜神社の社があります。その昔、素戔嗚尊がここで休んだとき地面に差した杖が根付いて木になり花を咲かせた、それが全国の元(素)の桜となったという伝説があります。

また、この老木を題材にした謡曲「素桜」には、こんな物語があります。

"ある男が桜見物に来ると、一人の里女が「この桜は昔、神が植えたもので神代桜と呼ばれ、たぐい少ない木なので素桜とも言う。御神体は八坂刀売命」と教える。男が桜の下でまどろんでいると、里女は花の精となって現れ、桜を賛美して舞い、明け方、春霞とともに消えて行く。"

  

レイエセンスができたそのボトルを受け取ったのは、翌11日の早朝でした。

夜明けの神代桜をたずねると、老木のまわりには朝霧が立ちこめていました。

 

エッセンスができるとき、"すべてが大丈夫"という、言ってみれば逆風も追風もなにもない無風の感覚に気づいていることがあって、その無風から湧いてくるものは喜びをもって迎えるしか無いものだと解っていて、それを爆発する喜びにも出来るが、エッセンスを受け取る私は淡々とやるべきことをすすめていく静かな喜びを選んでいるようなところがあります。あるいはそこに突然出会ってしまうと、もう身体のすべてが溶けて無くなるくらい力が抜けて、大笑いと涙しか沸き起こってこないということが何度もありました。

 

レイエッセンスはどこから現れてどこへ誘うものなのか。浮世を高いところから見渡しながら満面の笑みで開花の灰を撒く、花咲爺の立つところはどこか。

 

後にこの花神を使った人から、「このエッセンスをお供にすると、闇の中の闇へと下って行って、まだ行け、というので行き続けると、そこは"無"でした。そこからまた源が見える。いつもは上へ上へと行き、源をさらに過ぎて"無"に行くのですが、反対から一周した感じです。そしてその中庸の中心に座すと  "今咲かずして、いつ咲くか。千に一度の好機なり。"  と一声が起こった。とても面白い旅をした。」という体験を聞きました。

 

 

レイエッセンス花神の導くもの

 

これがこの人生でこの私がやっていくこと、とあなたが本当に思えることはなんでしょうか。

「花神は、自分自身が諦めた事、無理だと思っていた事、恐れが先にたち辞めていた事 …枯らしてしまっていたものも発掘して、再度伊吹を吹き込むようにも感じています。周囲からの摩擦だけではなく、私自身の中でいくつもの葛藤、摩擦といいますか、そこにも働くのかもしれません」これはあるセラピストの方が感じたというその働きです。

またある台湾のセラピストの方は「花神はとても不思議なエッセンス」と言い、何度も不思議なことを経験しているうちに、ある日突然、このエッセンスボトルの深い意味、つまりこのエッセンスボトルの背後にあるスピリットに気づいたと言います。「人生をスムーズに流れさせ、願いを開花させるエッセンスとして、長い間何かに取り組んでいるが結果が出ない方、でも諦めずに良い結果を望んでいる方に、このエッセンスを勧めます」と言います。

 

枯れ木に花を咲かせましょう。それは忘れ去っていたほんの些細な日常的なことかもしれないし、問題のループに阻まれて抜け出せず先に進めていないことかも知れません。今からはもう遅いとあきらめ目を閉じていることかも知れません。否定と絶望で自ら封印してしまった、考えてもみなかった大きな革命かもしれません。

どんなことであっても、あなたの最高の可能性である命の本流から現れ出でて、芽吹き花咲くことを、このエッセンスは"咲けよ咲けよ"と呼びかけ導いてくれるでしょう。

あるいは、あなたに怒りをぶつけてくる人に、大量の愛を投げかける、あなたが花咲爺であると知るかもしれません。 

 

 

エッセンスが誕生したこの朝、そのボトルを受け取ると、そのまま戸隠山の麓、鏡池のほとりまで上ってみました。霧が開けていく高原には、ピンク色の山桜がちょうど満開を迎えていました。

木々はまだそのほとんどが茶色く枯れた色をし、山はまだ早春といった空気です。

 

日が差し込むと、ほのかに残っていた霞に、淡い虹が映し出されました。

その虹はちょうど山のなだらかな稜線に沿って架かり、今はまだ茶色の木々に芽吹きを促すようでした。

 

こうしてレイエッセンス花神は生まれたのです。


レイエッセンス【花神】

 

この世の中で自ら花と咲き、

枯れ木に花を咲かせる"花神"となれ。

 

 

社会の中で、自分に沸き起こるあらゆる反応からニュートラルである平和な視点に立ち、

私はどう咲きたいのか、その咲きたい自分を花開かせていく。

 

 

<こんなときに>

・自分は今どう生きたいのか、真の望みは何かを思い出すために

・人との駆け引きや状況の渦に陥りそうなとき、自分はどう在りたいのか、本当はどうしたいのかを自ら問いかけながら使う

など


<スティルネスサウンド>

 

スティルネスサウンド【花神】 

(online shop よりダウンロード)

 

光と音の共鳴「レイエッセンス」と「スティルネスサウンド」

音による響きからのアプローチがレイエッセンスとの相乗効果を生みます。

スティルネスサウンドの響きをあわせてお使いいただくことをとてもお勧めいたします。